数M理論!~万物の本質を語る~
△はじめに
今回はここまで考察してきた数M理論の復習を行いたいと思います。初めに述べておきますが、本論の核心は初号に集約されており、初号を読むことが何より解り易いので、以下の記事をお読みください。本記事に書かれていることは初号の中にほとんど含まれており、尚かつ初号が一番面白いのです。リンクを張りましたのでそちらをどうぞ。
また、以下では本ブログを初めてご覧になった方向けに、あまり枝葉の細かなことを述べるというよりも、数M理論の本質に関する考察を深めるといった感じにしました。初号に続けてお読みいただくことを推奨いたします。
略号を記載しておきます。
ME=数学的要素 PE=物理的要素
数M理論=数学的マッピング理論(当ブログの理論)
▲数M理論とは
本論は物理学対象とは何なのか、物理学対象とは一体なぜこのようなダイナミクスを示すのか、一連の疑問に対する一つの解答を与える。
簡単な発案から非常に重要な結論へと至る意義深い理論となっている。
初号に引き続き主張を繰り返します。最初に断っておきますが、本記事は初号に付け足しをしただけで、独自性という面ではそれほど目立つものではありません。また、第2の主張であるビッグバンメカニズムについては本記事では取扱っておりません。このビッグバンメカニズムもまたMP等価性に勝るとも劣らない主張です。というより、むしろこちらの方が発見の意義は相当大きいと思います。
<着想>
さて、私は従来から数学を究めることは物理学を究めることにつながると考えていました。その中で思いついたアイデアということになります。
PEは遍くMEと等価で、一対一対応である。PE一つ一つが個別の数学の論理文に等しいのである。
▲通常と数Mの比較
以下、この部では数Mの特徴を示すために通常研究との差異を多岐にわたる方面から考察する。通常と数Mを交互に記し、数Mの何たるかを吟味してみる。細かく分けてみた。
▽集約化と離散化
通常研究において我々はPEを分類し、数学によってそれらの数学的性質を調べ、理論化及び数学的な分析を施してきた。このとき我々は複数のPEを一つのMEに対応させることを目指す。
これに対し、数M理論は理論化の下、ある種類のMEに付属している複数のPEを個別化させようとする真逆の立場をとる。ビッグバンでは数M的解析に移行するのだ。このことは一つの注目点である。(第5号)
これは例えば原子や素粒子の分類、同じ温度・圧力を持つ系、同じ振幅・周波数を持つ電磁波などを同じグループに当て嵌め、同一視するのである。このグループ化はPEの記述をシンプルにする。膨大なMEsの解析には便利なのである。その一方で、ビッグバン直後においては統一化が破綻を帰する。(第1,3,4号辺り)その反面、数Mはその点において威力を発揮するのである。
▽帰納性と演繹性
通常研究において我々は数学によってPEをその種類に応じて、取り得る性質・法則を導いてきた。また、理論は~~なる種類のPEは・・・なる法則の性質(数学的性質)をもつということを示す。
しかしその理論に従う確たる理由もなく、また、その理論が生まれてきた確たるゆえんもない。理論とは論理の終末状態において、その論理間の関係性を見出し、その数学的体系を作る作業に相当する。
理論とは現宇宙の現象を表すべく構成された後付けの産物であり、数学の根本からの発想とは異なる。「理論の帰納性」と言えるこの事実は前回の記事で分析してある。
さて、逆に数Mはこの世の真理に対し、「論理展開」という演繹性を伴う明確な解釈を与える。実は数M的立場からしてみると解り易いのだが、各個MEに一対一対応するPEには当然、数学的性質が宿っており、通常研究はPEをその数学的特徴から分類し、PEを数学的に評価し返しているのであると解釈できる。
例えば個MEは
「X=x⇒Y=2x」なるものであるのに対して、
グループ化MEは
「X=x⇒Y=ax」などといった一般の論理文なる。
この例をXからYへの線形対応と呼んだ。
これはPE=MEのグループ化でもあり、他の記事でも書いた「統計論理学」に対応している。膨大な数となった論理群を統計力学と同様に取扱うものであり、現在の論理状態に対応するものである。(第3,4号)
ここでの解析は集団化したMEの集約という意味で帰納的な側面を持つ。一方で、数Mは個別のMEの具体的な解析という意味で演繹的な側面を持つ。これらは対照的なものなのである。
▽3大相違点
通常研究との差異について3大相違点
ⅰ)現PE基準か初期ME基準か
ⅱ)理想化MEか具体MEか
ⅲ)PE≠MEかPE=MEか
を挙げた。しかしその内、通常研究でもPE=MEではないかという主張の撤回を行った。というのも私は空間内の各点がせいぜい数個の情報しかもっていないのではないかと考えていたからである。その各点をPEと考えたのである。しかしこれは古典物理学における話である。これに対し量子力学ではPEが全領域にわたるため各PEは空間上のある「関数」なるものとしてME(数学的要素)に等しいと考えるようになったのである。これが前回の考察内容であった。(第5号)
しかしながらよくよく考えてみると、量子力学などにおいては研究を進める中で真理であるME=PEに結果的に行き着いているというだけのことであるのではないかと思うようになった。
一方、数MはME=PEなる原理から始まるのである。前回の記事で通常もⅲ)については数M同様と書いたが、やはりそこには大きな隔たりがあると思い直すようになったのである。
3大相違点と依然呼んで良さそうである。
ちなみに
ⅰ)は通常では我々が物理学の基礎を現在の宇宙の物理学的要素に見て取り、そこから考察を始めるのに対して、数Mではビッグバン直後の初期論理展開に基礎を見て取る。
ⅱ)では一般化を施してあるか否か。
例>数Mでは
l:y=―x+2 ∧ m:y=2x―1⇔(x,y)=(1,1)
こう言った個別の論理文。
通常研究においてはa≠bに対して
l:y=ax+b ∧ m:y=bx+a⇔(x,y)=(1,1)
なる論理文を真とする(a,b)群に対するl,mのこと。
などといったl,mに関する論理文を言うのではないかと思うのだが、よく理解していない。何か良い例があるとよいと思ったのですが誤りをお許し下さい。
▽系の内と外
更には通常研究はME展開の系内からの「我々の視点」から生じる研究である一方で数MはME展開の系外からの解析研究である。(第4号)
我々はME展開の系内に存在しているのであり、周りのMEと相互作用する中でそれらMEを「PE」という形で、MEとは別物として取り扱う。このPEの定義が最も明解である。
一方で、数M的発想法では、何度も言うがPE=ME完全一対一対応であり、PEとは数学の論理文一つ一つなのである。
そうなのだ!我々は遍くMEから成り、周りのMEと相互作用を起こしている。そしてその相互作用を通して「我々が感知する」ものをPEとして認識する。その中で我々はPEから数学的な要素を感じ取りそこから「数学」が生まれた。そしてその数学でPEを語り返しているのである。これが通常研究の在り方だ。
一方、数MではME展開に中心があり、PEはその虚像なのである。
▲MP対応
ただし、ME展開はわかったけどPEはさっぱり・・・などとなれば全く意味がない。そこでは各MEに対するPEを対応づけなければならない。これを私は『MP対応』と呼んでいる。これが出来ればME展開に応じてPEのもつ意味・物理量などを次々と導き出せるのではないかと思う。PEとはMEそのものであり、PE変位とはME展開に相当する。MP対応はこの2つの間の結びつきを明示するものなのである。
一案はあるものの単純かつ、幼稚なため今は示さない。またいつかとしたいと思う。
▲ME=PE??
ところでPE=MEとはおかしい!という人もいるかもしれない。感覚的には私も理解できる心境だ。しかし考えてみて欲しい。
PE≠MEならばPEの本質は他の何だと断言できるのだろうか。数学的理論を満たす「元」と答える人もいるかもしれない。ならばその元はその数学的理論に従う理由は何であるのか?その理論はなぜ成り立つのか?明確な解答は示せるだろうか?それに対し、数M理論はそこに一つの確かな解釈を与える。これ以上ない明確な解答を与えるのである。
我々がいるこのPE空間の明確な定義ができない以上、数M理論が間違っている!と言い切ることはできないのではないだろうか?確かに数Mも正しいと言い切ることはできないが・・・、しかしこの宇宙の真理の一つの明確な解釈の候補の一つとして主張することができるものと現段階では考える。
△まとめ
他にも数Mについて様々な思索をし、初号以降の記事でも私なりに考えたものを書きましたが、上に述べたことが基本的骨格であるし、特に初号がそもそもの数Mの出発点である。
疑問の残る余地として自由意志との関係についても検討をしたものがある。これはまたいつかとしたいと思う。
何はともあれ初号をご一読して頂きたい。本数M理論の約半分はここに集約されている。
それではまた!!