物理哲学!

物理学について私が考えたことをぶつぶつ呟きます。

数M理論!~MP対応について~

略号紹介

ME=数学的要素  PE=物理的要素

数M理論=数学的Mapping理論(本ブログの理論)

 

<目次>

数式02



△MP対応序論

今回はいよいよMP対応についての議論をしたいと思います。

 

ここで一応MP対応についての説明を与えておきますと、MP対応とはMEに付随するPEを見出すこと、即ち物理的意味付けのことであります。PEはME展開空間の系内から見た周りのMEのことでありPEとはMEの付随物なのであります。これは以前の記事(第4、第6号辺り)に詳しく載せてあります。

 

さて、MP対応により、これまでの議論の中で隔てられていたMEとPEの結びつけを行うのです。数M理論ではME=PEなる等式は導きましたが、具体的にどのMEがどのPEとむすびつているかについて何の議論も行っていないのでありました。

では、未開発の分野へと足を伸ばそう!

とは言えあまり乗り気ではありません。というのも、私の知識・理解が乏しく極めて貧弱なものにしかなっていないからです。

従って確証を持って宣言することはほとんどなく、かなり多くの仮定の上に述べる話となるのです。しかしながら私のイメージを伝えることは若干でもできるのではないかと思います。

 

それでは始めます。

 

▲MP対応の手順

まず、私はMP対応の方法として2,3の方法を考えつきました。その中でも私の思いつく限りで一番有力な手法をご紹介したいと思います。以下、手順です。

 

ⅰ)まず第一にこの宇宙の根幹を求めるため「公理系の推定」を行うことを目標とする。そのためにこの宇宙を観察し、それを構成するであろう公理を選択する。例えば数学の基礎を成す集合論の公理としてはZFCを選択すべきであろう。このようにして『第1候補の公理系』を作る。

 

ⅱ)そしてそれを演繹して平衡状態を作ることを考える。

この際、愚直な展開を実行するなら、コンピュータに任せるべきであろうし、手計算で行うのであれば、何らかの方法で擬似計算を行うべきであろう。理解不足故、ここは読者の考察に任せる。

こうして平衡状態が再現できたと仮定しよう。

 

ⅲ)そしてその結果の答え合わせを行う。平衡状態とは何も現在でなくてもよいであろう。ビッグバンの1秒後でも十分と考える記述が多く見受けられる。

従ってビッグバンの1秒より後は物理状態が解っているとして取扱うことにする。そして1秒後のPEの裏にあるMEとの比較をして、算定した平衡状態のME状態と一致するかどうかを考える。

 

ⅳ)それが一致した場合はこの公理がこの宇宙の公理系であり、一致しなかった場合は過不足の算定をして、『第2候補の公理系』を推定し、再び平衡状態の算定をする。これを繰り返し最終的に「正しい公理系」を導き出す。

 

ⅴ)このように、我々の宇宙の公理系が正しく得られたと仮定する。

この際の演繹結果は展開後のPE全てに対応しているから、このME展開によりⅰ)やⅲ)よりも全面的な平衡状態の把握ができる。そこで各PEに対するMEsとの対応関係を見出す。MEとそれに対応するPEが解ればMEに共通するPEなるものが見出せ、MEの物理的意味づけが実行できる。

 

▲MP対応の適用

ここにⅰ)~ⅴ)によるMP対応が実行できた。

この対応は物理的側面から考えるとき、個PE対MEsという形になる、即ちあるPEに対応するのは型ME(=MEの集合体という意味)となる。これは現在のMP対応についてのみ考えるならば概ね十分かもしれない。ただ、個MEが本質だからMEの自由な分割のMP対応を考えるならば、この「型」を「個」にまで分解しなければならない。もし仮にそれができれば、特に個MEを単位とする初期宇宙の物理的意味を把握することができる。そうすれば今度は「個MEに付随する物理的意味」を用いて逆に現在の宇宙を評価し返すことができる。個MEがMEの最小単位であることを考えると、この分解はPEの究極の分解と言える。この究極の分解による研究は「新物理学」とでも呼べようか。

 

また必ずしも個MEで解析する必然もないが、選択肢として型や個を選べるようになる。

一つ注意しておくと、ビッグバン直後は「型」が存在するとは限らないからこのとき必ずしも通常の物理学における物理的意味があるとは限らない。

 

▽[注意]

ⅰ)ⅲ)ⅴ)で暗にPEに内在するMEの見出しが遂行できることを仮定している。ここは一連の議論の中でも特に弱い部分の一つである。しかし、我々はこの宇宙の真理に関してある程度の数学的な理解をしている。従って各PEに対応するMEの見出しはできるのではないかと思う。

 

△お断り

きちんとここで断っておきますが、方法論は以前にも述べたとおり確立されていない。しかし考えればあるかもしれない・・・。そんな中、ムリヤリ考え出した方法論が上で紹介したものである。

あまりにもひどい出来に絶望しそうだが、そう頭のよくない私が想像しただけの産物であるので、もっと優れた人が考えれば実現できるかもしれない。

今回はムリヤリ書いたものである故、ご批判は免じていただきたい。わたしもこのムリヤリ感に打ちのめされている状態である。

読者の方々において考察されたい。

 

それではまた!