物理哲学!

物理学について私が考えたことをぶつぶつ呟きます。

数M理論![14]~整合性の数々~

略号紹介

ME=数学的要素  PE=物理学的要素

数M理論=数学的Mapping理論(本理論)

 

M理論とはこの世の万物(PE)は全て数学論理要素(ME)と完全一対一対応であることを主張する。その下で、1プランク時間=1論理展開として時間と論理展開を対応づけ、更にビッグバンを論理展開の始まりと定義する。そして初期宇宙についての理解を求める方法の一つとして数M的解析法の適用を提言するものである。しかし数M理論の適用範囲は必ずしも初期宇宙に限らないと思うのである。この主張については他の記事に詳しく載せてあるので、そちらもご参照頂きたい。ただ、本論を読むだけでもあらすじは分かると思われる。

 

【目次】

 

さて、これまで数M理論についていろいろ語ってきたが、数M理論の射程範囲は基本的には「MP等価性」と「ビッグバンメカニズム」までであった。しかしその後、様々な考察を重ねる中で、数Mは様々な整合性を物理学において持ち、これら以外にも有意義と考える物理事項が出てきた。今回はそれを振り返ってみよう。

 

▲整合性の数々

全部ではないが、今思いつく範囲の数M理論のもつ現物理学との整合性を列挙してみる。

 

①ビッグバンの意義

②ビッグバンのダイナミクス

③ME変位の最小単位と時間の最小単位

④1プランク体積1論理文の自然な対応

⑤光速=1プランク時間プランク長

   ⇒1展開で隣接するPEと作用

プランク空間と展開数や論理文数の有限性(可算性)

⑦宇宙に中心がない

⑧宇宙表面が特殊

⑨周りのMEを感知してこの幾何学的世界があるという自然な解釈

⑩この世のPEはなぜ数学的な振る舞いをしているのか?という問に対する答え

⑪理論におけるPEの表記と数M的理解

量子もつれの簡単な解釈

エントロピー増大則の簡単な解釈

一般相対性理論への拡張

以上である。

 

次に順に簡単にみていこう。分かっているところは積極的に読み飛ばしてもらって構わない。

 

▽Ⅰ ビッグバンの意義

この世はある公理系を基軸とした論理展開によりなり、その論理展開こそが時間の正体である。従って、この宇宙創生は論理展開の始まりに相当する。即ち、ビッグバンとは正に論理展開の始まりそのものであるというこれ以上ないビッグバンの明確な定義に当たる。これこそ数M理論の最も重要な帰結の内の一つであり、数M理論を重要たらしめる大きな要素である。

 

▽Ⅱ ビッグバンのダイナミクス

さて、ビッグバンが論理展開の始まりであるということは見たが、逆に現在はどうかというとその平衡状態であると想像される。論理展開はするがその(全体としての)状態はほとんど変わりない状態なのではないか?と思われる。その平衡状態を通常の状態と考える現在なのであるから、逆に展開の始まったばかりの様子を見たとき、極めて状態の変わりやすい不安定な状態と見て取ることであろう。僅か数プランク時間の間に状態が目まぐるしく変わるのである。そこでは平衡状態における概念は通用しづらく、通常研究の手法では解析は困難を極めるであろう。

現在の概念に縛られた考察では、理解しづらい、そんな初期宇宙の解析にこそ数M理論の威力が秘められているのである。数M理論の実践的活用の扉が開かれていると考える。

 

▽Ⅲ ME変位の最小単位と時間の最小単位

このテーマは数M理論の★初号MP等価性からビッグバンメカニズムへ - 物理哲学!で仮説の中にも含まれているように、私がこの数M理論の本格的着想(2017年)のきっかけにもなったエピソードをもつものである。私はME-PE完全一対一対応の仮定の下、こう推論した。

もしME=PEならば、その変位の仕方もまた等価だ。ところでMEの変位を与える論理展開の仕方は明らかに可算だ(稠密ではない)。一方で、PEの変位を与えるものは時間だ。よってこの2つの変位の仕方も等価なのだから、時間はまた可算である。よって時間には最小単位がある、と推論し、調べてみたところ・・・あった!そう、プランク時間なる時間の最小単位が!!

この発見により単にME-PE完全一対一対応という曖昧な理解が「展開する」という点を含めて一対一に対応するという強い結び付きに変わったのである。これは先のビッグバンともつながるものである。MP展開モデルの創成が叶ったのだ。

 

▽Ⅳ 1プランク体積1論理文の自然な対応

M理論によれば、PEの最小単位もまたMEの最小単位に対応するということが推測される。PEの最小単位とは何かと考えたときPEを幾何学的に細分化していくことが最も自然であり、「体積」の最小単位に到達すると考えることができよう。一方、MEの最小単位は何かと考えたとき単一の論理文をMEの最小単位として考えることができるであろう。従って1プランク体積内のPEが1論理文に相当するであろうと自然に考えられる。

ところでPEは電磁波数、圧力、温度など体積をもたないものも考え得るのであるが、それらはME空間において論理文中の係数などの状態量と考えられる。状態を表す情報と考えられるからだ。例えば、

    \color{navy}  {\exists  y  \forall x [\ ax-by=c  \land  bx-cy=a  ] }

               ⇒  \color{navy}  {a=b=c  \land  x-y=1}

また、電磁波、重力など、作用というPEもあると思うが、それは文型を変えたり係数を変化させたりすると思う。これは文Aから文Bを導く作用という意味で「解法」なのではないかと考えられる。MEは大まかに文、係数、解法という形でそれぞれ体積をもつPE、状態値、作用というPEと対応していると私は考える。

 

▽Ⅴ 光速=1プランク時間1プランク長⇒1展開で隣接するPEと作用

相対性理論によれば光速が最も速い移動速度である。これが意味するところは、1プランク時間1プランク長の移動である。これに対し、数M理論によれば、1プランク時間1論理展開である。即ち1論理展開で1プランク長隣へMEは移動する。そして隣の1プランク体積には1つのPE=MEが潜んでいるのであった。従って1プランク展開で隣のPE=MEと結合(反応)する。このことは★9号数M理論!~振り返ってみて思ったこと~ - 物理哲学!でも触れたことだが、至って自然な物理モデルだと言えると思う。

 

▽Ⅵ プランク空間の中での展開数や論理文数の有限性(可算性)

この点についても過去の記事★11号数M理論![11]~新たなる序章~ - 物理哲学!でも触れた。プランク単位系においては細分性の限界を示しているが、これもまた数M理論と符合するのである。例えば論理展開の原理から言って時間は論理展開に対するMEからPEへの写影であるから、論理展開と同様の変化の仕方をしなければならない。論理展開は有限個であるから時間もその最小単位をもつことになる。また、論理文数も有限であり、論理文はPEと一対一対応であるから、PEもまた最小単位をもつ。現に先の議論(Ⅴ)からプランク体積なる空間の最小単位に1PEということになる。この宇宙の大きさには限りがあることからPEの有限性が示される。

 

▽Ⅶ 宇宙に中心がない

現在の宇宙においては幾何学的意味を持つ1次元モデルも有用だろう。★12号数M理論![12]~相対性理論との融合~ - 物理哲学!参照のこと。近似ではあるが考察を進めるうえでは便利なものだと思う。さて、これを用いると動かない点はL=n-m-2r=0だからmやrの大きさを自由に選べる。これに対し中心から例えばL=n/2の点でもmの値はn/2まで取ることができるのだから十分平衡状態だろう。このように宇宙には明確な中心はないのである。もし、逆に「動かない論理が変位しない」のだとすればL=0でm=0なのだから明確な中心が存在することになり、この宇宙の観測事実とそぐわない結論となってしまう。かくして相対性理論から示唆されるモデルは、宇宙には中心がないという事実に整合性をもって成立し得ることが確認される。

 

▽Ⅷ 宇宙表面が特殊

このことはちょうど上の例でL=nとした場合に確認される。この時m=r=0である。従って、論理変位は全く起こっていない。公理の出発点である。従って、明らかに宇宙の表面は展開初期の状態であり、状態は特殊であると結論できる。これに対する事実は実は明確な論拠は持っていないのだが、宇宙は縁まで通常の宇宙と変わらないとされている。これは確かに数M的結論からしても正当性のある事実であるようだ。というのも宇宙の「縁」まで通常と変わらないと言っても完全な宇宙表面のことを指すのではないからである。表面から1光年でも内側に入れば状態は宇宙創生から1年経っている。既に平衡状態に至る1秒を十分過ぎているのである。かくして完全なる宇宙表面こそ状態は特殊だけれども、僅かでも内側に入れば状態は通常と変わらないと言える。

しかしここで一つ注意しておきたいのはⅦ、Ⅷの議論は相対性理論を汲んだ3次元空間モデルを念頭に置いての話であることである。実際には3次元空間だとか光速だとかいう概念を取り払った観念で考察をすべきなのであるが、ここでは平衡状態を考えた上での話に限ったのである。

 

▽Ⅸ 周りのMEを感知してこの幾何学的世界があるという自然な解釈

我々は自然と周りのPE=MEと相互作用している。そして1プランク長隣のMEとは1プランク時間後に、そしてnプランク長離れた論理とはnプランク時間後に作用する、と自然と理解している。しかしこの数M的解釈はどうなるだろうか?nプランク時間後にはnプランク長離れた論理と作用するという理解はこの3次元宇宙空間の近似モデルである1次元モデル(★12号~)により簡単に説明付けられる。それではその概観図を示そう。<図1次元>

1次元モデル02

実際この図にあるように任意の静止点Pに対してnプランク長離れた論理はnプランク時間後に作用し合うことを見て取れるであろう。ただしこの幾何学とは我々の宇宙空間を我々の立場から見た主観的概念であることに注意しよう。幾何学とは空間を占めるものだからME空間内では論理文に相当するであろう。

この説明は平衡状態の現在においてのみ有効であり、極めて安定した状態の下、成立する説明であろう。本来は数M的発想法の下で、純論理空間の中で考えられるべきものであり、先程の結合も幾何学的解釈ではなく、純論理的に取扱うべきものであると考える。しかしながら我々の幾何学的認識を数学によって表現し直したものが「幾何学」として実際に成立っているのである。

このように幾何的感覚を以って我々はこのME相互作用の論理空間の中を生きているのである。しかしこれは論理空間の平衡状態の世界観であるということをしっかりと認識しておかなければならない。

 

▽Ⅹ この世のPEはなぜ数学的な振る舞いをしているのか?という問に対する答え

我々人間も動物、植物含め生物もまた数学的な振る舞いをしていると言える。指は5本だし目は2つである。いくつかの集団に分かれて行動するところは分子の結合反応に似ている。自由な発想をしていると考えられる我々もまたある程度の法則に則っていると考える。決定不能命題があるためか完全に決定的とはいえないものの我々もまた数学的法則性に支配されているのだ。その上、そもそも数学とは我々が思っている以上に自由奔放なものであると言えるだろう。学校の授業のイメージがあるため窮屈に感じることもあるだけだと思う。

さて、こう考えると万物は数学的表現の中に落とし込めると考える。PEを細分化していくと見えやすくなるだろう。単一の論理文に行き着くからだ。そこでは通常研究において、PEはその数学論理展開の中に現れる「元」だと捉えられることが多いと思う。そしてその元はある法則性の下にある。

例えば

   \color{navy}  {P=xy+ax+by+c}     が一次の整式の積に因数分解される

      ⇒   \color{navy}   {ab=c} 

それに対して数M理論では(体積をもつ)PEに対しては数学論理「文」を代入しようというものである(上の例では文字係数に具体値を代入した文全体)。更に言えば公理点から出発する具体的論理要素を一つ一つPEそのものだと考えるのである。こう考えると明らかに万物は数学的表現の中にあるという帰結に行き着くことになる。このゾクゾクとするような2014年に私が感じた最初の感覚は感じないだろうか?ここに本数M理論の出発点があるのである。

 

▽ⅩⅠ 理論におけるPEの表記と数M的理解

MEの立場からすると通常研究においてPEは理論の数ある元の内の一つだと考えられる。

例えば

       \color{navy}   {a_{n+1} = pa_{n} + q}      \color{navy}   {a_{1} = 1}   に対し

         \color{navy}    {\exists   n  [ a_{n}=10 ]}     

という論理文。

理論の中においては実際にある数々のPEを一つのMEに落とし込むことによって操作が成立っている。そして数あるPEを僅かな論理により説明づけることこそが研究の成功とされるのである。しかし数M理論によれば万物はみな個別の具体的MEであり、論理数は無限に等しい。それなのになぜ、通常研究は数の限られた理論の中で説明可能かといえば、それは数M理論におけるME=PEに対する「メタ」数学という構造になっているからだと断定してよいであろう。実際、通常研究においてはある種のPE一般の性質を語るというものであり、仮定の上においての話であることが全てといっても過言ではないと思う。言わば「もし~だったら・・・」という仮想空間上のPEを指すのである。その一方で数Mは現実世界のPEを考察する。そのため、数Mとは実際に起こったことを厳密に解釈することに主な利用価値があると思う。実際に解析するならば、展開数が増えると論理数も膨大なものとなり、破綻を帰する。従って数M理論の適用範囲は前から散々述べてきたようにビッグバン直後である。しかし、もしビッグバンの解析に成功したとしたらプランク時代の解析が完了し、基礎が確固としたものになるからそこから先への研究にも数M理論の適用ができるかもしれない。例えばよく承知していないが圏論などにより論理展開の「型」を考察できるようになるかもしれない。うまくすれば現宇宙の解析にも一役買えそうな気がする。ただ、ここは類推の域を出ない。

話が反れてしまったが、本来個々のME=PEからなるこの宇宙を通常研究ではメタ数学という立場から論じて、少ない論理展開の中で理想化PEの性質を語るのである。

 

▽ⅩⅡ 量子もつれの簡単な解釈

ここで幾何学的意味をもたないモデルの一例として★9号<ツリーモデル>を再掲する。

 

公理:A

変形規則:本の論理Tに対し変形経路上の過去の任意の論理Sと結合し、T∧Sが導出できる。また、どの論理とも結合せず、Tのまま導出することもできる。

 

樹形図03

相対性理論によれば離れた位置にある相関PEが同時に作用することを禁ずる。量子もつれというこの現象は実は数M理論においては至って簡単に説明できる。これは★13号数M理論![13]~相対性理論との矛盾~ - 物理哲学!の[一言コラム]でも載せている。これを繰り返すことにする。相対性理論は厳密にこの3次元宇宙空間に従う。これを包むように数M理論が成立しうる。これも★13号に記載したとおりである。即ち、数M理論相対性理論よりも広い理論だと私は思っている。数M理論において、相関する論理が離れた位置にあってもよく、それらはその相関性の下、同時変換性をもつから、離れた位置にありながらも同時に相関関係をもって変位することが考え得る。

これまで数M理論の発展の場として相対性理論などを取り上げてみたが、その下ではME=PEの状態はこの3次元相対論的系Rに従い、Rの制約条件に縛られるのである。Rの下では光速度を越える運動は許されない。しかし数M理論のそもそもの舞台は純論理空間なのである。3次元空間に必ずしも縛られるものではない。よって、R系では説明のできないことも起こる。それが上で述べた例である。論理結合する2MEが3次元宇宙空間上で必ずしも隣り合っていなくてもよいのである。十分時間発展した現宇宙では結合する2MEは隣り合うのが通常なのだが、すべて論理が必ずしも隣り合っていなくてもよいのである。これが量子もつれの正体だと思っている。

 

▽ⅩⅢ エントロピー増大則の簡単な解釈

エントロピーは熱力学上で定義される量だが、それを今は「乱雑さ」の基準として定義することにする。このエントロピー増大則についても数M理論から示唆される簡単な解釈で説明しよう。説明は至って簡単だ。

さて、数M理論によればME=PEである一方で、MEは公理系を基軸に次々と展開される論理式である。MEはあらゆる展開をしていくため「全体」としてMEは展開されると共に不可逆に複雑化していくと考えられる。その論理文の複雑さ=PEの乱雑さだと言う定義をここで行う。そうすればPEは全体として論理文の複雑さと共に時間が進むにつれ乱雑になっていき、従ってエントロピーの増大につながる。これが数M理論によるエントロピー増大則の簡単な解釈である。ただ、注意したいのは論理文が展開の中で簡素なものに変位することがある。そのため私が考えるに熱力学第2法則は部分的に破れているだろう。ただ、論理文数は通常膨大なものであるから第2法則は厳密に成立つと考える人も多いと私は思うのである。

以上のようにエントロピー増大則は数M理論によって説明できる、と考える。

 

▽ⅩⅣ 一般相対性理論への拡張

重力場下ではPEが停留している場合時間がより速く進む。重力場ではより多くの論理が密に集まっている。これは幾何学的表現によっている。従ってこれを論理的表現によって表すとこのようになる。論理が密に集まるとは隣接するプランク立方体が沢山あるということだから1プランク時間後に論理変位する論理候補がより沢山あるということである。確かにこの解釈は論理変位を起こしやすいということとつながると考えられる。そして重力に従ってPEが移動を起こして1点に集まっていく。この際このPE群の体積が減ると仮定すると、論理文数が減る、即ち「論理消失」が起こると思われる。そう、先程の論理結合には論理消失が含まれているのである。改めて書くと重力の正体はこの論理消失なのではないかと思うのである。これは以前膨張宇宙の理由として説明した論理数の非減少性に反するが、ここでは論理数の減少が起こりうるという立場を取ることにする。重力場下では論理結合を迫られる。その中でその結合反応の中に論理消失が含まれており、何もしなければその消失による凝縮により互いが引きつけられる。結合反応の中にいるのだから時間はより速く進む。

ここで再び1次元モデルを考えるとL=n-m-2r=0だからm=n-2rであり、mが多いのだからrが小さいということになる。

 

▲3次元空間の重要性

ここまでところどころで散々3次元空間は論理平衡状態における概念だと軽視したような記述をしてきたが、実はそんなことはなく、平衡状態においてはほぼ完全に3次元であること、及び平衡状態とは論理の最終形態であることを考えると、3次元も大いに重要視すべきだろう。我々はこの宇宙の公理たちを突き止めねばならないが、そのアプローチ方法の一つとして平衡状態との関連を調べるとよいかもしれない。しかし詳しいことは分からないので、その重要性をここで指摘しておくのみに留める。

 

△おわりに

この度は、一気に数M理論と現代物理学との関係性について述べてみましたが、ご感想はいかがだったでしょうか? 一度に載せてしまったので、要点がつかみにくかったか?とか、一つ一つの話題が薄かったか?とか、少し気がかりなところもありますがご興味をそそられたならそれで十分です。

 

PEが論理そのものだなんて、バカげている!などと思われる方も多いと思われます。しかし、もしそうでないとしてPEとは一体何ぞや?と問を繰り返していったとき果たしてME以外の何に等しいと定義できるのでしょう?

確かに通常研究でもPEは数M同様、MEに帰着しているという意見もあるかもしれませんが、それは仮想のPEをメタMEで語っているのであり、「実際に起こった」具体的ME=PEの話ではありません。これこそ完全一対一対応の意味するところなのです。★第5号数M理論!~宇宙の真理の更なる追求~ - 物理哲学!

でも述べたとおり、通常研究が

   具体⇒抽象

という方向性であるのに対して、数Mが

   抽象⇒具体

という真逆の方向を向くのであります。

 

さて、この後の夢としては

Ⅰ.英語圏の人にも読まれるような英論記事を書く。

Ⅱ.Kindle本の出版

などがあります。マイペースで行きます。

 

それではまた!